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day&day::放射能汚染 母として(2)

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放射能汚染 母として(2)
娘はうまれてすぐ、顔がひどくタダレだしました。
病院に行ったら脂漏性湿疹だといわれ、ほっておくようにといわれました。
いっこうになおらず痒がり、
ほっておけなくなって別の病院にいったら、アトピー性皮膚炎だね、といわれて
リンデロンというステロイド剤を処方されました。
薬を塗ったらうそみたいにつるつるになり、娘の顔が変わりました。
娘は本来こんな顔の子だったのか、
ほっておいて本当にかわいそうなことをしたと思いました。

娘をベビーカーにのせて散歩していた途中にミルクアイスを買って、
「ひとくちなめさせてあげようかな」と思ってなめさせてあげたとたん、
顔が真っ赤になり痒がりだしました。
まだおっぱいだけだったのに、
安易に食品をあげていけなかった、娘につらい想いをさせてしまったと
自分を責めました。

離乳食をはじめたころ、赤ちゃん用のヨーグルトをひとさじあげたら、
急に娘が苦しがりだしました。
顔は1.5倍くらいに腫上がり、体もぱんぱん、
私もパニックになり、救急に行ったら「食物アレルギーですね」といわれました。
わたしはそこではじめて「食物アレルギー」という疾患を知りました。
皮膚の方も薬をぬらなければまた荒れて痒がり血まみれを繰り返していましたので、
それから「アトピー」や「食物アレルギー」について猛勉強をしました。

数々の書籍をよんでも「アトピー」の原因は不解明、治療方法もわからない、
温泉がいい、ダニがいけない、畳がいけない、水道水がだめ、ストレスのせい、
お医者さんによって言う事も違うし、治療方法も明示されていない。
それに今まで使っていた「ステロイド」という薬は体によくない、
使ってはいけないと書いてあるものもあるのです。

当の娘は絶えず痒がり眠れず泣き、喘息症状もでてきて、
私は二番目の妊娠でつわりに襲われたのもあり、
情報と苦しむ娘との狭間で、気が狂いそうでした。

それでも一番近くにいる母親が勉強をしないと何もかわらない状況でした。
「アトピー」の解決策はわからなくても、
「食物アレルギー」の解決策はわかってきました。
娘は数々の経験や検査をへて、
「卵」「牛乳」「バナナ」「キウイ」「メロン」「キンメ鯛」「マンゴー」などを食べると
苦しがるということがわかってきました。「スギ花粉」や「ネコ」も。
わかれば、避ければ良い。
それを避ければアナフィラキシー反応はおこらないだろうという道筋をつけることができたのは、
救いでした。

それでも、誤飲でいろいろ苦しい思いはさせました。
当時は今のような食品のアレルギー表示はほぼありませんでした。
生産者側の意識もほぼないに等しく、
食べさせて苦しがらせることは多々ありました。
保育園で間違ってとなりの子の牛乳を飲んで、意識を失い救急搬送されたり、
牛乳を飲んだおともだちがほっぺにちゅーをしてきて、顔が真っ赤に腫れてしまったり、
「お菓子あげる」といってもらったものを断れなくて、
ついつい口にさせてしまって、苦しがって救急、なんて経験も
数えきれないほど積みました。

「ちょっとだけならだいじょうぶだよね」とまわりがお菓子をくれることも多いです。
飲食店で成分を聞いて怪訝な顔をされることも多々ありました。
「親として給食室に通って子供の分を作るくらいの覚悟がなくては受け入れられない。覚悟はあるのか」と
地元議員にいわれたこともあります。
日頃から学校の栄養士さんとはやりとりが必要でしたし、
宿泊学習のときは、先生方と綿密な話し合いが必要になり、
お手間もかける申し訳なさも常にありました。

そもそも他の子が食べているものをうらやましく思う気持ちを
こどもにどう納得させるかも大きな試練でした。
コンビニで食べれるものはほとんどありませんし、
マクドやファミレスにもいけないし、キャンプや旅行にもやれない。
おいしそう、でも食べれない、ばかりでした。

でも。
「アレルギーのものを食べたら、苦しくなる」その図式は目にみえます。
アレルギーのものを食べたらどうなるか、ということが明白なのです。だから、
まわりの理解がなかったりすることがあっても、
子供が可哀想な想いをすることがあっても、
耐えていけましたし、だんだんと堂々といられるようになって精神力もつきました。
何より子供自身が、食べたら苦しいから注意をします。
そうやってなんとか今まで子供を守ることができています。

…………

今、放射能汚染に向き合ういち母親として、
今の段階で「汚染が目にみえない」のがとても怖いです。
避けるべきものが目に見えない。
これはほんとうにこわいことだと私は思っています。

加えてこわいと思うひとと、あまり気にしないひとの間に大きなずれが生じているように思います。
こわいと思う人が「調べてほしい」「これを食べるのは避けたい」「ここに行くのは避けたい」と願っても、
あまり気にしない人にとっては、それは
「行動が制限される」ことであり、「今までどおりできない」ことであり、「停滞させられる」ことなのだと思います。

リアリテイの感じ方の差な気がします。
うちの場合は、幸か不幸か子供の食物アレルギーのおかげで、
「食べさせるものが子供の体に影響を与える」ことをリアルに実感してきました。
実害があったから、強制的に実感させられてきたのです。
それが現在の放射能汚染においても「守りたい」と思う姿勢に繋がっています。
私程度の危機感は薄いのではと感じることもよくあります。
大なり小なり、人生体験が学びとなっている人は多々おられると思います。


娘のクラスに、原発事故をうけて中国に避難をして最近帰国してきた子がいるそうです。
担任は「ちょっと過剰に心配しすぎたんだね」といい、
友達からは「放射能なんて関係あるの?だいじょうぶだよね。」という言葉がでるそうです。
皆に悪意はない。でもわたしは、中国に避難した親御さん達のお気持ちは過剰ではないと思います。

夜、外が真っ暗で歩くのがこわいから、街灯をつけてくれないかと頼んできた人に、
「こわがるのは過剰、心配しすぎ、こわいと言うな」といって、
見回ることもなく、付き添うこともなく、懐中電灯も貸さずに一方的に帰すようなことがあれば、
その帰された人がどれだけ不安で心細い思いをするだろう。
その不安は行き場を失い、増幅する気がします。

国や自治体、教育機関、全体でできる限り守っていく姿勢をもてたらいいと思うのですが、
残念ながら今は不安解消にはほど遠い状況だと思います。
それどころか、「何言ってるの?」的な感触をうけます。
実際全国各地で「だいじょうぶなのか?」と声を揚げている方々には、
お母さんがとても多いように思い、
行動にうつす力とご苦労をおもうと、尊敬の念が湧きます。
お母さん達は、放射能汚染の専門家じゃない。万能でもない。
不安を表に出せて、うけとめてもらえて、守られる実感を少しでも得ることができたら、
心に微かでもゆとりができると思います。
そのゆとりは、
親子の間、人と人との繋がりのうえでも大切にされてほしい
「いたわり」に変わる気がします。
少なくとも「過剰だ」とか「不安や風評被害をあおる」と世相的に非難され、
肩身の狭い思いをすることが減ってほしいと願います。

状態がより可視化できるようになり、
どうすればいいのか、個人レベルでもなんとか納得いく道筋が立てられるようになれば、
私は日々の営みをできるだけ
「日々を謳歌する流れをつくる」ために費やしたいと思っています。
「アレルギー物質を避ける」ための道筋を得ることができた実感が、
ようやく自分の心をほぐし、
娘とゆるやかな時間に感謝できるようになったように。

さらには、
「食べる」ことの本質、位置づけをあらためて見つめ直したいとも思っています。
そのゆとりを得るのにどうしたらいいのだろう。
不安でたまらなくなったときは、こちらの文章をよんで心をたてなおします
今を生きる自分と家族を見失わないようにと。